生きていることに重なる“さびしさ”

七通目/とろ火の本屋さん活動、オンラインでもはじめます/ドロッとしたものに動かされるための表現/“ことば”を投げたいと思えること/身体的に経験することの影響
安久都智史 2024.12.25
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“さびしさ”について考えている。朝、まだ暗い時間に散歩することが増えた、というのも影響している気がする。BUMP OF CHICKENの楽曲を聴きながら、色が変わっていく空を眺めていると、鋭いのに心地よい“さびしさ”が襲ってくる。

自分という存在は、いのちは、ひとりでしかないということ。誰かの身体に触れようと、誰かの言葉に耳を傾けようと、その誰かと僕は違う人間だということ。すべてのいのちは、いつか消えるということ。世界が本当にあるのかどうか、わからないということ。

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